【超今さら】舞台『hedge 1-2-3』のはなし: "己の人生における観劇体験"としてのhedge (2021.7 観劇記録)

片桐「正直に言うと思いますか?」
茂木「言うだろうね。」
片桐「・・・ぼくもそう思います。」

本作の中で一番印象的だったやり取りである。「insider」にて、舞台となる企業・マチュリティー内部者のインサイダー取引疑惑が浮上した場面。たとえ道を踏み外したとしても、仲間の心のどこかには仕事への、金融の人間としての誇りが残っているはずだと、彼らは確信していた。『hedge 1-2-3』は、そういう人たちの物語だった。


……それが原因で、ここまで半年も感想が書けませんでした!!!!!!(爆笑)
という話をします。寧ろそれだけです。


まず大前提として、”原嘉孝担演劇おたく”としての感想は「こういうの大好き!!!!!!!!よしたかのこと呼んでくださってありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!」でしかなかった。まじで何も不満がなかったの。小さめのハコで人間らしい声や感情をたくさん浴びられて、なにしろ吉田栄作がかっこいいし。吉田栄作がかっこいいし!!(重要なことなので)


ところが3部作すべての観劇を終え腰を据えてストーリー面の感想を言語化しようとするとびっくりするぐらい頭が真っ白。もう全然まともな感想が浮かんでこなかったのである。何故なのかを詳しく書こうとするとまじで舞台と関係ない話ばかりになってしまうので、とりあえず当時のツイートをぺたり。(時系列は少し入れ替えています)

演劇の中身の話をしたいのにいつの間にか人生についてぐるぐる考えていて、今思えばこの、”己の人生における観劇体験として”作品と向き合う、というのがわたし、実質初めてだったんじゃないだろうか。誰かのおたくとしての私は、舞台を娯楽としてエンタメとして消費することしかしてこなかった。お祭りも地獄も優しさも悲しみもぜんぶエンタメとして、感情のエクササイズだと思って楽しんできた。とはいえ、じゃあその楽しみ方は悪いことなのか?といえばわたしは一切そうは思っていないしこれからも基本は同じ姿勢だと思う。この場合だって人生に何らかの影響を受けていることは確かなのだし。
しかし演劇というものを好ましく思っている人間の端くれとして、このことに結構頭をガツンとやられた気分で、なんというか、自分の感性にちょっと革命が起きたみたいなところがあるんですね。勿論頭ではそういう作品の受け取り方があることは分かっていたんだけど、自担の舞台観に行ってわが身を振り返ってこんなしんどい気分になることあんの???って。それを引きずっていたらこんなに時間が経っていましたとさ。
現状自分のリアルの生活は色々前向きに動き出しているのですが、今のところツイート内で挙げていたようなテーマに考えを巡らせて自分の中に落とし込むことはできそうにないです。できないので、できないということを記録しておこうと思います。わたしにとっては他の作品とは違った意味合いで、折にふれて思い返す作品となることでしょう。