片桐「正直に言うと思いますか?」
茂木「言うだろうね。」
片桐「・・・ぼくもそう思います。」
本作の中で一番印象的だったやり取りである。「insider」にて、舞台となる企業・マチュリティー内部者のインサイダー取引疑惑が浮上した場面。たとえ道を踏み外したとしても、仲間の心のどこかには仕事への、金融の人間としての誇りが残っているはずだと、彼らは確信していた。『hedge 1-2-3』は、そういう人たちの物語だった。
……それが原因で、ここまで半年も感想が書けませんでした!!!!!!(爆笑)
という話をします。寧ろそれだけです。
まず大前提として、”原嘉孝担演劇おたく”としての感想は「こういうの大好き!!!!!!!!よしたかのこと呼んでくださってありがとうございます!!!!!!!!!!!!!!!」でしかなかった。まじで何も不満がなかったの。小さめのハコで人間らしい声や感情をたくさん浴びられて、なにしろ吉田栄作がかっこいいし。吉田栄作がかっこいいし!!(重要なことなので)
hedge、よしたかさん自身がこういうの好きかは正直分からんがわたしはまじでずっとこういうのに出てて欲しい でかい劇場のミュージカルとか出るようになっても一方でやっててほしいんですよ~~~~(わがまま)
— なか (@koguuup) 2021年7月11日
帰宅して空腹を満たしさっきまでゴロゴロしながらパンフ読んでたんですが、ろばさんとよしたかさんの対談良さしかなかった オファーの経緯のくだり胸がいっぱいで ほんとにほんとに嬉しい
— なか (@koguuup) 2021年7月11日
ところが3部作すべての観劇を終え腰を据えてストーリー面の感想を言語化しようとするとびっくりするぐらい頭が真っ白。もう全然まともな感想が浮かんでこなかったのである。何故なのかを詳しく書こうとするとまじで舞台と関係ない話ばかりになってしまうので、とりあえず当時のツイートをぺたり。(時系列は少し入れ替えています)
いやー、trust観たら色々言語化しよう、と思ってたのに全然だめだなー きちんと受け止めて噛み砕くのに時間がかかりそう わたしがこの3部作をめちゃ好きで高く評価したい気持ちとは別になんか……これはわたしのコンディションの問題ですが今出会うタイミングじゃなかったな、みたいな感覚があって……
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
hedge、insider、trustと観て、よしたかさんの活躍度的なことで言えばダントツでtrustが良いのですが、いちばん「これを100%受け取れる元気を今わたし持ってない」と思ったのもtrustだったな
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
「再起」「女性が働くこと」「社会を変える意欲」というテーマが強い今作のシナリオを受け取ることを、今わたしが個人的な事情でセーブしてしまうんすね hedgeも若干セーブしてしまったところがあり、何だかんだ一番楽しんだ(楽しんだと言うのか?)のはinsiderですね
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
なんかこう、頭の切れる優秀なビジネスマンで、「正しい」金融を理想に掲げ精力的に働いてきたひとが道を外れた理由の肩透かし感とかすごく生々しくて ひとが罪を犯す瞬間ってそんなものなんだろうなぁ、という
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
監視委員会のヒアリング場面の言葉の応酬も構図は至ってシンプルなのに密度が濃くて好きだったな
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
でもたぶん本当はわたしにとって必要なのもtrustなんだろうなと思った、鈍く重たい気持ちを噛み殺しながら観たけど、でもこの1度の観劇体験を後々引き出せるように心に留めておきたいよな、みたいな
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
自分の感情が自分でとても興味深いので残しておきますが(うるさくてすみません)「おのれの人生における観劇体験としてのhedge123」がなんか拗れているのはわたしが本当は今頃社会人だったはずがそこから外れてしまった人間だというのが大きい
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
これは社会人として、もしくは疑いもなく社会人になる者として素直に受け取るべきだったのでは/受け取りたかったのに、みたいな思いが拭えなくて なんでそう思うかというと、真っ当に働いてる時点でわたしからしたら全員人生のステージが別格の人で(そういう物差しで見たら、という話ですが)、
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
特にマチュリティーやフェア・コピの人たちなんて上流も上流であり、そういう構造もまた劇中に落とし込まれてるなと思ったんだけど、そういう物語の構造には思い至っても肝心の中身、「社会をより良く」「理想の仕事」というテーマについてはいやそんなことまで考える余裕ねぇですわ、となっちゃう
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
自担や推しの現場としての作品と、おのれの人生における(観劇)体験としての作品、見え方が全然違うなというのがかなり興味深かった
— なか (@koguuup) 2021年7月18日
演劇の中身の話をしたいのにいつの間にか人生についてぐるぐる考えていて、今思えばこの、”己の人生における観劇体験として”作品と向き合う、というのがわたし、実質初めてだったんじゃないだろうか。誰かのおたくとしての私は、舞台を娯楽としてエンタメとして消費することしかしてこなかった。お祭りも地獄も優しさも悲しみもぜんぶエンタメとして、感情のエクササイズだと思って楽しんできた。とはいえ、じゃあその楽しみ方は悪いことなのか?といえばわたしは一切そうは思っていないしこれからも基本は同じ姿勢だと思う。この場合だって人生に何らかの影響を受けていることは確かなのだし。
しかし演劇というものを好ましく思っている人間の端くれとして、このことに結構頭をガツンとやられた気分で、なんというか、自分の感性にちょっと革命が起きたみたいなところがあるんですね。勿論頭ではそういう作品の受け取り方があることは分かっていたんだけど、自担の舞台観に行ってわが身を振り返ってこんなしんどい気分になることあんの???って。それを引きずっていたらこんなに時間が経っていましたとさ。
現状自分のリアルの生活は色々前向きに動き出しているのですが、今のところツイート内で挙げていたようなテーマに考えを巡らせて自分の中に落とし込むことはできそうにないです。できないので、できないということを記録しておこうと思います。わたしにとっては他の作品とは違った意味合いで、折にふれて思い返す作品となることでしょう。