宇宙Sixの終わりによせて

わたしのおたく人生における山本亮太さんとの付き合いは、3人時代のThey武道に遡る。きっかけは確か、「C=Normal」を踊る映像(それ自体は4人時代のものだった)に出くわしたことだったと思う。それぞれに癖もありつつ、なんというか、"ジャニーズアイドルの踊り"というものを突き詰めて洗練させた表現、みたいなふうに感じて、それがもうすごい琴線にふれたのだった。
その後家にあった嵐コンのDVDを毎日のように見漁って彼らの姿を見つけては大喜びしたし、その年のカウコンでは完全に双眼鏡ロックオン。友人にDVDを借りてプレゾンにもどハマりして、冬の日生劇場は受験勉強と天秤にかけて結局観に行って、好きの勢いはどんどん増した。紆余曲折を経て、わたしは林翔太というひとを自担と呼ぶことになる。

それから、ずっとだ。担当でこそなかったけれど、山本亮太というひとは、わたしの中ではいつでもわたしの大好きなひとと共にあり、ありったけの感情をのせてステージに立つ、本当に本当に眩しくて大きな存在だった。ジャニーズ全体から見たらそこは日陰だったかもしれないけど、わたしにとっては視界の中心だったその場所を、明るく照らしてくれる太陽みたいなひとだった。
宇宙Sixという新しいユニットになっても、自担であった林くんがユニットを抜けても彼は決して手を離さなかったし、その次の年、再びユニットのリズムが崩れるかと思われた時もそうだった。頑なに。過去も大切だよと、ずっと離さないでいてくれたから、一度迷子になったわたしも宇宙Sixのファンでいることを選ぶことができた。ふゆパラで夢みたいな景色を見せてもらえたことも、いま原嘉孝というひとに希望を見ていることも、全部全部、山本亮太というひとがいなかったら叶わなかったかもしれない。ほんと、周りのことばっかり照らして、自分のこと忘れてるんじゃないかって思うこともあるぐらい。

彼がいなくなる、ということは、宇宙Sixの終わりを意味するかもしれない。契約解除の知らせを受けてから、すぐに頭を過ったことだ。実際その通りになった訳だけれど、自分でもびっくりするぐらい落ち着いている。公演が持てる予定だったのであろう今年のふゆパラの開催が発表されたとき、残されたひとたちの顔が見られたとき、現実が目の前に突きつけられた気がしてあぁ、もう終わってしまったのだと暫くずーんと気が重くなったりもしたけど、なんか、それぐらい。不思議なほど悔しいとかそういう激しい感情が無くて(いや、アクスタ欲しかったなとはちょっと思った)、もうそういう時の流れに流されるだけなのだなぁ、とよくわからない感傷にずっと浸っている。
本当にたまたまなんですけど、自分がちょっと鬱に入っていて感情が動きにくくなっていた矢先だったのもあるかもしれない。でもばかやろう、とは思ったけど、裏切られたとも思わなかったから。これまでステージ上から沢山のものをくれた"りょうちゃん"と、その裏でやんちゃして悪い遊びに手を染めてしまった男のひとは、わたしの中では全然矛盾はしなかったから。ただただ、叱って側にいてくれる温かいひとが彼の周りにいますようにと。残された3人が、これまで丁寧に積み上げてきた分くらいはちゃんと報われてくれますようにと。贅沢をいうなら、これからもわたしたちの前に立ち続けてくれますようにと、願うだけだ。

宇宙Sixは無くなった。
無くなったというか、経緯はどうあれ、もう彼らは"宇宙Sixしない"ことを選んだ。
それならそうですかと、粛々と、これまでに貰ったものたちに好きだったよと感謝して。これから与えて貰えるものを気が向くだけ受け取って、好きでいさせてもらえる限り好きだよと言っていくことしかできない。今のとこ、そういう気持ちです。